はたして、地球を支配するのは人類か、恐竜か、それとも共存を選ぶのか・・・。シリーズの壮大なる終焉を見届けよ(ジュラシック・ワールド/新たなる支配者のパフレットから)
というわけで、映画を見てきました。小学生の時に恐竜にハマって以来、ゴジラ、モスラの映画とともに地球と生物の世界観を養ってきました。国内外の出張や家族旅行で恐竜関連の施設があれば躊躇なく足を運びました。カナダ・アルバータ州の「ロイヤル・ティレル古生物学博物館」は2度訪れましたが、とても感動しました。施設・展示の規模、化石の再現力、美しさ、どれを選んでも世界一に数えられるでしょう。
自宅はすでにジュラシック・パーク?
幸運にも家族もゴジラ、ガメラにハマり、自宅には合計100以上のゴジラ、ガメラ、モスラ、ウルトラマンがあちこちで私たち家族を守ってくれています。共生という表現が適切かどうか不明ですが、同じ空間に「食う寝る」しているのは間違いありません。
ジュラシック・シリーズは過去の5篇と合わせて今回で完結するそうです。テーマのひとつとして人類と恐竜の共生が含まれています。確かに映画で描かれているように生きている恐竜を直近に見る経験ができれば驚愕するでしょうが、遺伝子技術で蘇らせた恐竜とともに人類が生活する設定を共生と呼んで良いのかどうか、当初から不思議でなりませんでした。恐竜が地球生物の頂点に立っていた時代は何らかの原因で気候変動が起こり、恐竜は死滅。激変する環境に対応できた当時最弱な生物の一つだった哺乳類が生き延び、人間の登場にたどり着きます。この生物史の流れが正しければ、恐竜と人間が共存するのは不自然です。文字通り、自然じゃないです。
恐竜と現代の生物が共存する違和感
映画の世界です。がちがちに論理を詰めて見たら、つまらないのは承知しています。映画に支払うお金がもったいない。しかもジュラシック・パークの原作者はマイケル・クライトン。彼はハーバード大学医学部で博士号を取得しているのですから、私が抱く疑問などはすでに想定して小説を書き上げているはずです。ちなみに彼の作品「ER」は大好きで、テレビ番組のシリーズは欠かさず視聴していました。2008年にマイケル・クライトンが亡くなったとのニュースを聞いた時はまだまだ世に送り出されるはずの作品が消えてしまったかのような寂しい思いを覚えました。晩年は地球環境問題に関して物議を醸していたようですから、ジュラシック・パークにも彼なりの伏線が仕込まれていたのかもしれません。
ジュラシック・ワールドの最終場面は恐竜たちと馬などが地平線が見える雄大な荒野を走るシーンです。なんとなく美しい風景にも見えますが、やはり違和感が残ります。恐竜はクローン技術で再生され、繁殖されています。馬は進化の歴史を経て現代を生きています。人工的な結果と自然が一体となって「共生」を謳われるのは、どうも腑に落ちません。
クローン技術による共生は?
むしろ、人間の存在が地球や自然とズレが生じているのではないか。もし、このシーンが近未来への警鐘を暗示しているなら、腑に落ちます。人類は産業革命以降、地球の資源を消費して自然環境を激変させ、生物の存在を危うくしています。恐竜は小惑星の衝突で起こった気候変動で消滅した説がありますが、人間は自らの力で地球の自然を変え、自らの未来を消滅しようとしているのかもしれません。
「はるか未来 人間がパークに」は想像したくない
はるか未来、地球に存在する生物が人間を蘇らせた時、「HumanWorld」を建設するでしょう。化石から回収したDNAを基に多くの人間が現れ、地球の歴史を学ぶのです。ジュラシック・ワールドの最後は映画製作会社のユニバーサル・スタジオの文字が並べられます。宇宙から見た地球は、すでにテーマパークとして他の生物から観察されている存在だったら?映画を見終わった後、壮大なスケールの物語に浸るよりも、モヤモヤした何かをポップコーンとともに食べた気分になってしまいました。
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