地球環境

環境省 霞ヶ関の病に侵され、水俣の声が聞こえず Eco*Ten 零点 

  環境庁の事実上の初代長官の大武武一さんは「正義の味方 月光仮面」と呼ばれました。ところが、現在の大臣は水俣病の声を聞こうとしない。きっと環境政策の実践についても自身の志がないのでしょう。環境相が大臣ポストの一つに過ぎないことを改めて痛感しました。とても残念です。

5月1日に水俣病は確認された

 2024年5月1日が日本の環境政策にとって新たな警鐘を鳴らす日となるでしょうか。「公害の原点」と言われる水俣病の公式確認されたのが68年前の1956年5月1日。その後も、全国各地で公害病と呼ばれる環境汚染が人々の生命や日常生活を奪い、その対応と反省から誕生したのが環境庁でした。1971年7月1日、総理府の外局として発足しました。それから53年後の5月1日、国民と行政の乖離を映し出す霞ヶ関の病に冒されていることが判明しました。

 2024年5月1日、熊本県水俣市で犠牲者を追悼する慰霊式が行われました。1956年5月1日、チッソ附属病院の細川一院長が「原因不明の脳症状を呈する患者4人が入院した」と水俣保健所に報告しました。この日が水俣病の公式確認の日とされました。水俣病を引き起こしたメチル水銀を垂れ流したチッソの医師が報告する。企業収益に目を奪われずに企業倫理を最優先するコンプライアンスが叫ばれる現代でも、特筆される志です。

水俣での懇談は3分間でマイク切り

 慰霊式には環境相と水俣病患者らの団体が懇談する場が設けられますが、今年は患者らの団体代表者が意見を述べる時間をあらかじめ3分間と決め、3分間過ぎると環境省担当者がマイクの音を切り団体側の発言を遮る不祥事がありました。懇談の場は環境省が発足する起因ともなった水俣病の当事者から話を聞く貴重な機会です。耳を傾ける姿勢よりも、懇談を予定時間内に終わらせることを最優先したのです。環境相らと直接、意見交換できる場を奪われるわけですから、患者らの団体は強く批判しました。

  環境省は1週間後にようやく反応。5月7日に担当の特殊疾病対策室長が謝罪することを表明したものの、伊藤環境相が謝罪する予定はないと説明しました。批判は収まらず、翌日の8日に伊藤環境相は水俣市を訪問して謝罪する意向を明らかにしました。伊藤環境相は8日、熊本県水俣市を訪れ、発言を遮られた当事者らに直接謝罪しました。「心からおわび申し上げたい」「十分お話いただけなかったことをお聞きしたい。今回のことを深く反省し、しっかり環境行政を進めたい」などと話しています。環境相、患者らの団体のやり取りはマスメディアで大きく取り上げられているので、詳細は省きます。

環境相・省に本気度が見えない

 環境相と環境省担当者のやりとりから判明するのは、水俣病に対するおざなりの姿勢です。現地で司会を務めた環境省の担当者によると、懇談では伊藤環境相の帰りの新幹線に間に合わせるため、各団体が話す時間を3分と設定。制限を超えるとマイクの音を切る運用を決めていました。この結果、2団体に対し計2回、マイクを切りました。この運用方針は昨年も同じでしたが、実際には制限時間を超えてもマイクを切っていません。

 環境省は事前に団体側に説明したり、会場でアナウンスしたりして理解を求めるつもりだったそうですが、「急いでいて気が動転していた」として説明を忘れたといいます。伊藤環境相は肉声で団体代表の声は「はっきり聞こえていた」と話し、マイク切りの影響はなかったと擁護しています。3分間の制限は認識しており、マイクを切る運用までは知らなかったと説明しています。ただ、水俣市へ懇談で訪れているにもかかわらず、3分間の制限が設けられることに疑問を持たなかったのかが不思議です。慰霊式は単なる儀式と割り切っていたのでしょうか。

マイク切りは環境相への忖度?

 担当者は独断でマイクを切っており、環境相は無関係と強調します。しかし、担当者が担当大臣の意向を無視して実行するわけがありません。忖度というありふれた言葉で片付けえられるものではありません。水俣病は環境省発足の文字通り、原点なのです。環境省自らの存在を否定する行為としか思えません。

 患者らの団体から「環境省の職員だけの問題ではなく、同席した伊藤環境大臣の責任もある。監督指導しなかった責任は重大だ」「環境行政がどうあるべきか、ちゃんと考えておられなかったのではないか」との意見が出るのも当然です。

初代の大石長官は強いリーダシップを発揮

 環境庁が発足した1971年7月。私はまだ高校生でしたが、当時の高揚感を覚えています。初代環境庁長官は山中貞則さんですが、4日後の内閣改造までの暫定長官。第2代長官の大石武一さんが事実上の初代。在任中、四日市ぜんそくの対策を急ぎ、尾瀬の自然保護を優先して田中角栄通産相らの反対を押し切って自動車道の建設を中止します。そして、水俣病の患者認定基準作成においては「疑わしきは認定する」として救済対象を広げました。縦横無尽の活躍ぶりから「正義の味方、月光仮面」と呼ばれました。

 環境庁は元々、霞ヶ関の官庁の寄せ集め。各省庁に分散していた公害に関する規制行政を一元的に所掌するとともに、環境政策をまとめ上げる行政機関として発足しました。発足後も各省庁の縦割り行政が環境行政の目に立ちはだかり、大きな壁となりました。この壁をぶち破るためには、大臣の強力なリーダーシップが必要でした。

環境省を侵す病巣が見えてきた

 今回のマイク打ち切りに環境相のリーダーシップは微塵も見当たりません。大臣の職務を可もなく不可もなくこなし、自らの経歴に加える気持ちだけが目がつきます。大臣を支える環境省の官僚は、可もなく不可もなく遂行するために3分間でマイクを切ったのです。この姿勢は一例に過ぎないのでしょう。この病巣が環境行政の根幹を侵しているとすれば、不安です。

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 このサイトでは、Eco*Tenという環境評価を5項目でやっておりましたが、環境省については項目別の評点はつけようもありません。すべて零点ということで、総合でも零点。

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